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実家に隠してあった大量の手帳を発見
つい先日、実家に立ち寄って
私専用の収納場所を整理してきました。
所謂捨てられないモノ置き場みたいなところ。
そこで一番場所を取っていたのが…
古い手帳たちでした。
今でこそスケジュール管理もデジタルだけど、
その昔は、
「手帳命」みたいな時代があったんですよ。
今の若い世代には通じないかもしれませんが、
銀座伊東屋とか LOFT とかハンズの手帳売り場が
年末になると大混雑だった時代。
システム手帳とか文庫型とか色々流行りもあって、
毎年選ぶのが楽しみだった時代。
で、シールや写真でデコレーションしながら、
その年の思い出を綴っていたのです。
そんな時代の産物を大量に発見したので
ハイイロネコ
と、自宅に持ち帰ってきました。
思い出が詰まりすぎていて
捨てるに捨てられなかったとは言え、
ハイイロネコ
と思う最古の1冊は、15歳の時のモノでした。
中身をじっくり読んでみたら…
存在すら忘れていたくらいなので、
ほとんど読み返したこともなかった代物。
とりあえず処分を前提に目を通してみると…
ハイイロネコ
と思うことがたくさん書かれててびっくり。
かなり前のことなので記憶が薄れているのは当然なんだけど、
それを差し引いても、
いかに自分が過去を美化していたのかが
よーーーくわかったのでした。
高校生とか大学生の頃なんて、
今思い返すとキラキラした眩しい思い出ばかりで、
ハイイロネコ
とか思ってましたが、
当時の記録を見ると…
割とネガティブな感情が書き殴ってあったり、
すごい鬱な文章が書かれていたり。笑
そりゃね、楽しいだけじゃなかったのはわかる。
嫌なことや辛いことがあったのも覚えてる。
でも…
ハイイロネコ
ってくらい、色々書かれていて
読み返すうちに思い起こされる「負の記憶」。
とても鮮明に思い出せるものだから、
まるで当時に戻ったかのような気分で沸き起こってくる
ハイイロネコ
すっかり記憶から抜け落ちていた感情と向き合ううちに、
いくつかの良き思い出は上書きされてしまい…
なんとも複雑な気分になったのでした。
背負っていた感情と一緒に処分することにした
ただ、ここ最近は年齢のせいか(笑)
良いことだけを都合よく思い出しては
ハイイロネコ
などと郷愁に浸りがちになっていたのも事実。
そう思うと、
若い頃より器用に生きられるようになった
ハイイロネコ
と思えたのは収穫だったのかも。
そして、
自分が昔から抱えている感情のクセや
弱点を見つけられたのも、
今後の役には立つだろう、と。
しかし何だろ?
良き思い出の記録として残していた手帳に、
ハイイロネコ
そして、
それを何十年も手元に抱え続けていたのだから、
何やらとても重い情念をこっそり背負っていたのかもしれない。
というわけで、
重要な出来事の記録だけをデータに残して、
あとは綺麗さっぱり処分することにしました。
大事に大事にしまってきた思い出のカケラたちは、
今頃灰になって消えていったんだろうな…
一生懸命シールとか貼って、
いろんな色のペンで丁寧に書いていた手帳。
かつての私のアイデンティティが詰まっていたことを思うと、
手放してしまうのは少しだけ寂しかったけれど…
ハイイロネコ
キラキラした思い出はキレイなままで良い
嫌なことは忘れて、
楽しかったことや嬉しかったことだけが
いつまでも記憶に残ってるなんて、
ハイイロネコ
と、再認識出来た程度の衝撃があった過去の記録。
でも、こうして処分してしまえば、
またいつの日か記憶から消えて…
キレイな思い出だけが残るのだと思う。
それで良いし、それが良い。
負の感情や嫌な記憶を背負って生きるよりも、
過去に置いてきた方が身軽でいられる。
「思い出はいつもきれいだけど、それだけじゃお腹がすくわ ♪ 」
って歌詞があったけど、
思い出はいつもキレイで、
お腹が空いてるくらいがちょうど良い。
ハイイロネコ